最近の考えてること

実は2ヶ月ほどAzyアカウントのInstagramを使うのをやめている。

それが今こうしてブログを久々に開設した理由にもなっているので思うところをいろいろ書きます🐶


| 振り返れば9月末頃−−−−−−−−−−−

私は学校で講師をしているので、学校のスケジュールで稼働している。
つまり夏休みもあればちょっとした秋休みも冬休みも春休みもあるのだ。
休みパラダイス。しかも非常勤なのでフルタイムで働いていない。
休みパラダイス。お給料も良い。ありがとう学校。
なのでイラストレーターの方もうまく両立できてきた。

"Azy"の活動をご存知の方は私が主催しているイベント「COLLECTIVE SUPERMARKET」も聞いたことがあると思います。
こういった自主的なイベントも合間合間に準備しやってきました。

しかしいつもこのような行事が詰まっているわけではなく、私は休みを持て余します。
そうすると私生活を充実させようと小旅行やパーティーなどを計画したくなるサガなのです。ですがそんな時に限って友人たちに連絡すると「仕事の予定がある」「忙しい」「お金がない」の返事攻め。私はメンタルを一旦やられる。

というのもだいたいみんなシフト制の仕事、フリーランス、フルタイムだけど土日休みに限らない、など予定がピタッと合うよな友人が揃っていない。笑う。
私は時間とお金があるゆえにそれを持て余している状況に苛立ちを感じます。(都会生まれ故かもしくは生い立ちがそうさせてしまったのか)人は人と出会うために生まれてきていると思うので、健康な体といつでも会える便利な社会に生きているのにそれを無駄遣いしているかのような友人たちの生活に勝手な怒りを感じてしまうのです。
一方的な怒りとそれをエゴだとわかっていても気が収まらなくどうしようもない数日が続きました。

私は軽度のOCD持ちなので何かしなきゃと思ったら何かしないではいられなくなってしまう時があります。(OCD知らない人は調べてね)そんな性格と付き合ってきて自分でも嫌になる時があるので、治したいと思い自制を図りました。


| まず何が私をそんなに掻き立ててしまうのか?

そう!Instagramでした。

前々からInstagramはやりすぎると病むと分析していたのですが、今回を機に徹底的に嫌気がさしました。
まずストーリーズという機能。アルゴリズムによって身近な人や興味のある人が優先的に出てきますが、大抵その人たちが今何をしているか、どこに行ってきたかなどの情報が目から入ってきます。"今この子と会ってるんだ〜"とか"このイベントに顔出してるんだ〜"とか偶然的ではない必然的な羨ましさが生まれます。日々その連続。ただでさえタイムラインでも情報が蔓延しているのにストーリーズで追い打ちをかけられる。内容は大抵"カワイイ"や"映え"といわれるもの。自己主張と承認欲求と、、偏屈な考え方とは思いますがそれらの行為がマスターベーションに思えてきました。いいねを得るエクスタシー、フォロワーが増えていくオーガズム。Instagramはやればやるほど効果が得られるシステムなので、毎日頭をInstagramに突っ込んでいるような若者たち。一緒の空間にいても心や対人間の熱量はそこにはなかったりする。そういう十代の子たちを思うと純粋に悲しくなります。


| 話を戻すと、

友人の近況を日々Instagramを通して知っているわけです。
なのに予定が合わない。都合が合わない。
みんなに会いたいという気持ちがどんどん空回りしてうっぷんになるのだ。
そもそも常に友人の近況がわかるという状況がおかしく思えた。
自分の人生なのになんか他人に振り回されてるような感覚。
自分の生活に戻そうと思いInstagramを見るのをやめました。

まだ長くなるので次回につづく・・・

あじ〜

コメント

人気の投稿