Power to da ppl🍒🌈❤️

最近制作しまくってSNSでみんなと繋がることで
自分の中に活力が生まれてることを
今この瞬間ほど感じたことは今までにない。

その感動を忘れないうちに記そうと思う。


| 最近の私のInstagram事情

Instagramを見てくれてる方は
既に試してるかもしれませんが、
Spark ARで制作したカメラフィルターの反響が
友人やフォロワーの方からたくさんありました。



元々私のSNSってInstagramに限らず
不思議とフォロワーの方からの反応が少ないんです。

コメントもDMもたまに。
質問スタンプもほぼ無反応(笑)
でも閲覧数はちゃんとある。

あまりにもみんなの生存確認ができないので、(笑)
私がインスタのストーリーズで馬鹿みたいなことばっか
(BLEACHとかアイドルとか)あげてるから
あきれられてるのかなとか普通に考えます(真顔)


| 誰かの一言で活力が生まれる

だけど、今回のARフィルターをきっかけに
(もしくはお家時間が増えたことがきっかけで)
昔の友人たちと久々に繋がったり、
初期から見てくれてるフォロワーさんから
DMや写真を送ってもらったり、
交流が一気にありました。


その中である知人が一言、

「新作も楽しみにしてる!」

と言ってくれたことがとても嬉しくて、
ひたすら制作して疲れてた時だったので
一気にやる気が復活しました。

自分が楽しくてやってることが
誰かに喜んでもらえたり共有してもらえたり、
こうやって言語化や視覚化がされるだけで
全然違うパワーをもらえるんだなと。

私自身思いついたことをすぐ実行したがる
性格なので、思ったことや感じたことを
言葉にすることが当たり前で、
こうやってブログに綴るのも好きだし
チャットより電話したい派だし
ちょっと話ずれましたが、

体現することってすごく大切!
ってことですね。

よく世間でも言う誰かの一言で簡単に
気分て左右できちゃう。
だからこそ、今だからこそ、みんなの身近な人に
どんな形でもいいのでエールを送って欲しいです。

自分と周りに優しく在ってください。


| SNSが便利すぎる不自由さに

去年10~12月にかけて3ヶ月間「Azy」としての活動を一切しなかった。
夏に愛犬を失くし、自分の中でバランスが崩れ、
SNS上でのアイデンティティをコントロール仕切れなくなったからです。
現実の自分を保つのに精一杯だったんだと思う。

違う言い方をすれば、SNSを利用するのではなく、
SNSに振り回されてた状態。

元々制作を含め、
自己表現をしないと生きてけない人間なので、
性格的に足止まることがストレスなのだ。
去年の秋はそれが叶わない環境だった。
というかそういう状況を自分で生み出していた。

SNSで何かしたいけど何をすれば良いのか
謎の義務感を自分で振り回し振り回され
SNSがエゴの掃き溜めに見えて苛立ちが募った。

そんな時荒川和久さんのNoteを読んですごく助けられた。

SNSをすればするほど孤独化が進む、
なんていう意見をある人が言っていた。
繋がっているようで繋がってないデジタルなコミュニティ。
しかしその見方がそもそも気持ちが良いものでは無かった。


荒川氏曰く「"つながり"とは自分の内面に向き合うこと。」

色んな出会いを通して「自分の中にいる新しい自分とつながる」こと。


人との出会いは対面だろうとSNS上だろうと
自分を愛するために繋がるコミュニティ!

そう認識できた時「独り」でいることとか、
「孤独」を感じるとか、それがどうした!ってなった。

SNS上では確かに相手と面と向かって話せないし
顔も見れない声も聞けないエネルギーを感じとることもできない。
一見孤独な作業に見えるけど、

そこには何かが生まれてる。

どこか事務的作業に見える「いいね」を押すことも
何も意図せず機械的にそのボタンを押してるけど、
その瞬間必ず「ハート」が動いていると思う。

ただそれが感覚的で実感には程遠いのだけど、
その一つ一つのアクションに
意味がなさそうで意味がある。
世界のどこかで誰かが勇気をもらってるかもしれない、
一喜一憂してるかもしれない、
コミュニケーションには変わりないのだから。


去年の私はエゴ・承認欲求・視覚的情報量の多さ、
様々なものが大雪のように目の前に降り積もっていって

人間の根本的な部分、
「生きる喜び」を見失っていたのだ。

「ハート」が喜ぶことに従う、
そう言う生き方をしたいと思った。


以前から2020年は変わり目の年だと聞いていました。
こう言う形は想像していなかったけど、
時間と心の余裕ができた今だからこそ
自分の世界を見つめ直すきっかけなんだと思います。



|【盛大に余談⬇︎】

| アナログとデジタルの間に挟まれて

1992年生まれはいわゆるゆとり世代のど真ん中なのだが、
ITの発展と共に育つとても不思議な時代に生きている。

✴︎1992~1999
アニメ黄金時代の後期。
テレビで良いサブカル教養を受ける。
Pixar初期作「トイ・ストーリー」を初め、
ディズニーの3D技術を目の当たりにする。

✴︎1999~2005
1998年にWindows98が発売し一気に加速したインターネット社会。
小学校に通ってる6年間の間でポケベルがPHSに、PHSがガラケーに。
パソコンの授業が必須化。

✴︎2005~2011
中学校の間にプロフが流行り、高校でmixiやFacebookに取って代わる。
音楽配信が流行りiPodが普及。
2011年地デジ化。

✴︎2011~2015
大学に通っている間スマホが当たり前に。

✴︎2015~現在
更なるテクノロジーの発展を吸収しつつ社会人を経験中。


見事にアナログがデジタルに変わる時代のど真ん中を生きてきた。
アナログの良さも馬鹿みたいにしみてるし、
デジタルの時代にもアホみたいに順応してる。

だから人と会う大切さも、SNSで繋がる大切さも
どっちも同じレベルで重要に思える。

時代から特別な教育を受けた私たちだからこそ
何か世の中にできることがあるんじゃないかなと、

途切れ途切れに何かを思う。


Azy


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